オープン・ガーデン・飯屋 失業主夫ではありません。 しっかり働いております。                          


by naraonarao

カテゴリ:黒島( 1 )

d0008649_124683.jpg
『島の歳月』 南方新社(参考資料として)

   『gofuujyuuu氏の黒島旅行記』 2005年11月

 黒島
利尻、礼文、佐渡、石垣島、西表島、屋久島、種子島、大島、八丈島と今まで行った島と違うのは“観光”施設が皆無と言う点でした。
私は忘れない』の時代とは格段の違いらしいですが、それでも当時の厳しさは想像できる環境です。四方が海なのに砂浜が一箇所もない断崖絶壁に囲まれた島でした。
砂がないと言うことはコンクリートが作れないということで、島外から調達するのですから大変です。

 40年前の思い出を辿る旅
同行のS氏がお父様(昭和30年代黒島に赴任していた)の本棚で見つけた。と、『忘れられた島』という岩波写真文庫2の小冊子と40年前のご自分の家族写真を持って来られたので、思い出を辿る旅になりました。

 そして、島へ
島中(ちょっとオーバー)が歓待してくれました。
みしま丸の船内で有吉佐和子さんを牛に乗せてあげたと言う90歳代のおじいさんに会い当時の話を聞くことができました。
映画『私は忘れない』の撮影当時中学生だったという“エキストラの子供だった”人たちにも会いました。ビデオをダビングして送ってくれるそうです。
d0008649_1953469.jpg

竹島(写真は竹島港)は船からはまったく民家がみえず、硫黄島は活火山を至近距離から眺めながら入港、観光の島と言う感じ。
そして黒島、片泊港に上陸したのですが山の斜面にふれあいセンターと2~3の民家の屋根が見えているだけです。

迎えの民宿の車に乗って、いきなり坂道、ずっと坂道、100%坂道。到着後、散策してみると台風対策だと思いますが竹やぶの中(全島竹に覆われている)に思ったより沢山家があります。あくまでも思ったよりです。防風対策に力がはいっていて、屋根が低い。瓦もありますが紙にコールタールを塗ったような初めて見る材料で葺かれていました。これなら台風に飛ばされなくてすみそうです。廃屋も何軒かありました。

次の日、S氏の知人Aさんが車で案内してくださると言うので思い出探検の始まりです。食堂、コンビニがないということで民宿でお昼の弁当を持たせてくれました。

 40年前の風景を捜して

 『片泊小中学校』(40年前の写真)
d0008649_204874.jpg

学校は移転し、旧校舎跡はゴミ焼却場としいたけの集荷場跡になっていました。移転した新しい学校(写真は現在の片泊小中学校)は全面芝生の校庭、生徒数の少なさが青々とした芝生に表れています。現在純粋な島の子供は3人、あとは赴任している教員の子供と潮風留学生、小中学校合わせても13人(だったかな?)とのこと、体育館にはジャンベ(西アフリカの伝統打楽器。詳しくは三島村HPをご覧下さい。)がありました。

集落は大里地区と片泊地区があり、それぞれに港と学校があります。面積、児童生徒数で考えると1つでも良いのではと考えるのは旅人ゆえの浅はかさから、島を一周してみると納得です。公共の交通機関がないのですから、8キロ離れた隣村まで登下校は無理な話です。

道路は舗装され車なら問題なし、でも自転車はマウンテンバイクでないとね。・・・ そういえば自転車を見なかった。

 『天秤棒で水汲みのS氏のお母さんの写真』(40年前の写真)

写真にある山道は昔もメインストリートだったらしいので場所は特定できなかったが、ふれあいセンター前の道路あたりでは?と。もちろん今は水道完備、牛の放牧が盛んになったので昔は飲んでいた沢の水も飲まなくなっています。島民より牛の数が多いのです。耕作地が少ないと思ったら、斜面の畑は高齢化もあって、今は放牧場に変わってきたのだと。竹の勢いに放牧場も押されぎみです。

 『4~5日に1度の船を迎える岩場の島民』(40年前の写真)

この写真の岩場も特定できなかった。沖に停泊した船から小船で人や荷を何往復もして陸揚げしていたそうですが、今は1300トンのみしま丸が接岸できる桟橋があります。桟橋の辺りであろうとは思うのですが……

 島での一番の驚き
d0008649_1954164.jpg

島での一番の驚きは、今も土葬だということ。大里地区の古い大墓(写真)という墓地を見せてもらったところ、新しい霊屋があり、聞けば埋葬後3年以内に墓石に換えるのだそうで、言われてみればすっかり忘れていたのですが私の田舎も昔はそうでした。

 島を離れる 島のこと・・・
島を離れる日は快晴、S氏の知り合いの方が“手作り弁当持参”(コンビにがないので手作りは当たり前なのです)で見送りにきてくださって、船の別れらしく五色のテープで「ありがとう~~~」(私は忘れないバージョンで「あしたよなぁ~~」)でした。うるうる…

S氏の“当時は……だった。の話”を聞いているとnaraoさんが羨ましく悔しくなる気持ちがよく解りました。
島には福助さんのような気品のある猫がたくさんいました。
思い出がギュッと詰まった 40時間滞在黒島の旅でした。

一周道路のいたる所に芙蓉(ふよう)と石蕗(つわぶき)の花が咲き乱れ、たまにすれ違う車の人は必ず会釈し、歩いている人は話しかけ、犬、猫、牛、ヤギも目を合わせるフレンドリーな島でした。
 
      道しるべ無くて離島の石蕗の花
      秋の海点となるまで手を振りて
      行く秋や汽笛に負けぬありがとう   五風十雨





(掲載写真については、三島村HP様、片泊小中学校HP様よりnaraonaraoが無断転用させて戴きました。何卒お許し下さい。)
[PR]
by naraonarao | 2005-11-12 11:17 | 黒島